こんにちはー。
年間200冊の漫画を読み漁る、漫画大好きライター、コッチャマン参上!
アニメ化もされ、今人気沸騰中の漫画『メダリスト』
でも、アニメを観た人達からは、
「アニメで動いているのに、漫画の方がキレがあるんじゃない?」
という意見も出ています。
これはいったいどういうことなのか?
アニメも良いですよ。
ですが、米津玄師さんや羽生結弦さんといった日本を代表する表現者たちが「心酔」したのは、間違いなく漫画版『メダリスト』の放つ異常な熱量なんです。
なぜこの作品は、音も色もない「紙の上」で、アニメ以上に観客(読者)を惹きつけてしまうのか。
年間200冊以上を読み耽る私が、思わず涙した「あのシーン」と共にその秘密を解き明かします!
アニメより漫画の方が心揺さぶられる3つの理由
1.「一瞬」を「永遠」に閉じ込める、狂気的な描き込み
アニメは「動く」のが仕事ですが、漫画は「動きを止めて魅せる」のが仕事です。
つるまいかだ先生の描くスケートシーンを見ると分かるはず。
ジャンプの瞬間、エッジが氷を削り、火花が散るような火照りを感じるほどの線の太さ。
アニメだと数秒で流れてしまうその一瞬を、漫画は大ゴマや見開きという巨大なキャンバスに閉じ込めます。
そして、読者は自分のペースで、その一瞬をじっくりと、心臓に刻み込むまで眺めることができる。
この「時間の支配権」こそが、漫画版が持つ最大の武器なんです。
2.「綺麗な絵」を超えた、剥き出しの「覚悟」が刻まれた顔
アニメのキャラクターは、動かしやすさを優先して線を整理することが多いです。
でも、原作漫画の『メダリスト』は逆。
勝負の瞬間、主人公のいのりちゃんが見せる表情は、もはや「可愛い女の子」ではありません。
それは、道を自分で切り拓くためリンクに上がる戦士の目であり、すべてをスケートに捧げると覚悟を決めた顔です。
この「瞳に宿る執念」や「顔に刻まれた覚悟」の線の太さは、漫画というメディアでしか到達できない領域。
アニメではこぼれ落ちてしまうような、剥き出しの感情がそこにはあるんです。
3. 音がないからこそ聞こえる「魂の叫び」
不思議なことに、漫画の『メダリスト』を読んでいると、会場の静寂や、氷を切り裂く「シュッ」という鋭い音が脳内に直接響いてきます。
そして、ページには表現されていない部分での振り付けや演出。
確かに、アニメは正解に近い音や動きを与えてくれます。
でも、漫画は読者の想像力を限界まで引き出し、自分にとって最高の音楽と演出を頭の中で完成させてしまう。
いのりちゃんがリンクに立った時のあの緊張感。
司先生の祈り。
これらは、音がない「無音の空間」だからこそ、より深く、より重く、私たちの魂に響いてくるのです。
アニメの「滑らかさ」が奪ってしまったもの
1.CGの「正解すぎる動き」にはない、漫画の「線の震え」
アニメ版『メダリスト』では、複雑なスケーティングを再現するために3DCGが多用されています。
確かに動きはスムーズで、フィギュアスケートとしての美しさを存分に堪能できます。
しかし、皮肉なことにその「滑らかさ」が、原作漫画にあった「命を削るような泥臭さ」を、少しだけ薄めてしまっているように感じるのです。
つるまいかだ先生が描く漫画の線は、決して「綺麗」なだけではありません。
踏み込む瞬間のエッジの重み、氷を噛む音。
そして選手が限界を超えた時に見せる「線の乱れ」
あの「静止画なのに、動いているアニメ以上に重力を感じる」という矛盾した迫力は、計算されたCGの軌道では決して届かない領域です。
「綺麗な映像」を見たいならアニメでいい。
でも、キャラクターの「執念が氷を削る音」を聞きたいなら、やはり漫画でなければならないのです。
2.読者の想像力を極限まで引き出す「涙」
私がこの漫画で、ページが滲むほど泣いてしまったシーンがあります。 それは、いのりちゃんが初めて挑んだ「バッジテスト第1級」の場面です。
いのりちゃんは、最初からエリートだったわけではありません。むしろ、運動が苦手で、周りからは「何をやらせてもダメな子」とまで言われてきた女の子です。
でも、彼女には誰にも負けない「氷への執念」がありました。
そんな少女が、リンクの上で、司先生から教わった「ブロークンレッグ・シットスピン」を完璧に披露する。
しかも司先生は一度しか教えていません。
プログラムにももちろん組み込んでいません。
それを彼女は自ら練習を重ね、最後の大技として演技に取り入れた。
一人リンクの隅で、何度も転び痣だらけになりながら、その一瞬の残像を自分の体に刻み込んでいったのです。
それを見た瞬間の、司先生の大粒の涙!
その涙にはいったいどれほどの感情が押し寄せていたのでしょう。
生徒の成長を目の当たりにした喜びか。
それとも、かつて挫折した自分にさえ与えられた、道しるべを見出したのか。
様々な想いが涙となって溢れ出すこのシーンは、読者にとって極限まで想像力を引き出すための恰好の場だったはず。
それがアニメではさらっと流されていたのが、私には物足りなかった!
「ここをアニメで見たかったのに!」という非常に残念な気持ちになってしまいました。
3.限られた「尺」の中での表現
アニメにはどうしても「尺」があるため、制作陣はその中でストーリーを完結させなければなりません。
「動線」を繋げ、そこに音や演出を盛り込み話を進行させてゆく。
それが、この作品では逆にネックになっているのではないかと思います。
スケートという一連の動きをいかに美しく滑らかに魅せるかに追われ、キャラの心情や表情に対して、読者が想像を巡らせる「余白」が足りていない。
だから物語に対していまひとつのめり込めない。
アニメを観た人がそう感じるのは、そういった理由からではないかと、筆者は(勝手に)考えています。
とは言え、限られた尺を使って、最高の物を届けようとする制作の方々のご苦労は、私のようは素人には計り知れません。
『メダリスト』に限らず、原作とアニメとの乖離は永遠の課題ですね。
結び:この「熱」を体感するには、ページをめくるしかない
アニメは『メダリスト』という物語を「見せて」くれます。
でも、漫画は『メダリスト』という体験を「脳に直接叩き込んで」きます。
特に、あのバッジテストの「ブロークンレッグ」の衝撃。
あの一コマに込められた情熱を、ぜひあなたの目でも確かめてほしい。
そこには、アニメの枠には収まりきらなかった『一瞬の輝き』が待っていますから。
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