こんにちは、コッチャマンです。
『チェンソーマン』第2部のあの展開…。
みなさん、どう思いました?
「え、これ夢オチ?」
「またタツキ先生に煙に巻かれた!?」
と、スマホを投げそうになった方も多いんじゃないでしょうか(笑)
藤本タツキ先生のことだから、単なる逃げじゃないとは分かっていても、やっぱり否めない、あの「ハシゴを外された感」
読者としてなんとも言えないモヤモヤが残りますよね。
漫画界には古くから、読者の熱量を一瞬で氷点下まで下げる禁断の呪文「夢オチ」が存在します。
「夢オチ」が一概に悪いとは言いませんよ。
作者が考えた末の結末だったとしたら、私達はそれを享受するしかない。
でもでも!
やっぱりどうしても、裏切られた感は否めません。
そして、その度に読者の間では、賛否両論の嵐が巻き起こるわけです。
本当に罪なやり方です。
今回は、200冊以上の漫画を読み漁ってきた私が、これまでの人生で「私の読書時間を返して!」と叫びたくなった、ガッカリ夢オチの歴史を紐解いてみたいと思います。
最初に「夢オチ」の手法を使った作品から、最近の話題作まで。
漫画界の歴史に残る「夢オチ」漫画を、一緒に見ていきましょう!
1. 【すべての元祖】神様が作った「禁断の扉」
『ロストワールド』(手塚治虫)
まずはここから。
最初に「夢オチ」の手法を使ったのはなんと、漫画の神様、手塚治虫先生。
地球そっくりの惑星で繰り広げられる大冒険。
ハラハラドキドキの末に待っていたのは…「自分のベッドで目を覚ます主人公」でした。
今でこそ「またかよ!」となりますが、当時はまだ漫画が「子供の夢物語」だった時代。
読者はさぞ驚いたことでしょうね。
「日本漫画史上初の夢オチ」とも言及される歴史的な一作。
手塚先生の圧倒的な開拓者精神が、「物語にオチをつける」という概念を生み出し、この瞬間から漫画史は、一つの転換点を迎えたのです。
ですが、その神の一手が、数十年後のファンを苦しめる「呪縛」の種になるとは、当の神様自身も想像してなかったでしょう。
まさに漫画史における、幸福かつ不幸な始まりの1ページです。
2. 【絶望の基準点】日本中が膝から崩れ落ちた日
『ハイスクール!奇面組』(新沢基栄)
「夢オチ」という言葉を日本中に最悪の形で広めた、いわば「夢オチ界の戦犯」(笑)です。
最終回、ヒロインの河川唯ちゃんが中学生の頃に見ていた夢だったことが判明します。「高校生になったらこんな楽しい仲間に出会えるかな」という淡い夢。
いやいや、読者は数年間、その夢を一緒に「現実」として歩んできたんだよー!。
あのドタバタな日常がすべて消え去った虚無感。
この作品以降、全漫画ファンは最終回が近づくたびに「夢オチだけはやめてくれ…」と祈るようになったのです。
「夢オチ」を世に知らしめた、画期的かつ犯罪的な作品として神格化されつつあります(笑)
3. 【確信犯の暴力】読者への宣戦布告
『東京大学物語』(江川達也)
これはもう、ガッカリを通り越して「事件」です。
34巻という超長期連載、ドロドロの恋愛や学歴社会への皮肉。
その果てに待っていたのは、「主人公の壮大な妄想」でした。
これ、何がヒドいって、作者の江川先生が「物語に没入している読者をあざ笑う」ためにあえてやった節があるんです。
「こんな妄想に付き合ってバカだね」と、先生が陰で笑っている。
そんな突き放されたような感覚を覚えたのは、私だけではないはずです。
夢オチを「読者への攻撃」に使ったという、非常に暴力性の高い作品でした。
4. 【精神的ダメージ】笑いが一瞬で凍りついた
『かってに改蔵』(久米田康治)
「楽しいギャグ漫画を読んでいたはずが、気づいたらホラー映画を観せられていた」 そんな感覚に陥ったのがこの作品です。
「実はすべて精神病院の中でのごっこ遊びだった」というオチ。
叙述トリックとしては「お見事!」なのですが、読者が求めていたのは「馬鹿げたギャグの続き」であって、こんな「重すぎる現実」じゃないんです!
読み返したくても、もう前のようには笑えませんよ…。
「精神病院」という内容も、ちょっと少年漫画としてはディープすぎる。
そんな意味で、最もタチの悪いハシゴの外され方だと、筆者は今も本気で思っています。
(追記:マニアの視点)
ちなみに久米田先生、後の『さよなら絶望先生』や『かくしごと』でも、この「日常が実は……」という叙述トリックを究極まで進化させています。
今思えばこれは、奇才・久米田康治が仕掛けた壮大な伏線の始まりだったのかもしれません。
…だがしかし!
当時の読者にしてみれば、そんな未来の評価なんて関係ない!
「今、この笑いを返せ!」という怒りこそが、当時のリアルな真実なのです。
5. 【現代の疲弊感】令和に蘇る「あのモヤモヤ」
『チェンソーマン』第2部(藤本タツキ)
そして今、私たちが現在進行形で振り回されているのがこれ。
あまりに生々しく、衝撃的な展開の後に訪れる「夢オチ」のような演出。
藤本タツキ先生なら、きっと新しい景色を見せてくれると信じているファンほど、「またこの、読者を翻弄するスタイルか…」と、肩透かしを食らったような疲れを感じてしまいます。
描きたいものを描く先生だから、この結末にもきっと、深い意味があるのでしょう。
自己を投影しているとか、そんな考察も多く見られますし、私達読者は、藤本先生の真意を自分の頭で量るしかない。
でも、私のような凡庸な脳みそは、読後の「スッキリ感」を求めているんです!
「いい漫画だったなー」ってしみじみしたいんですよー!
まあ、内容的にカタルシスを感じるのは難しいかもしれませんが。
それでも、第一部はそれなりにしみじみできたのに…。
返して!私の時間を!!
なぜ私たちは「夢オチ」に本気で怒るのか?
私たちが漫画に求めているのは、上手い設定やあっと驚く仕掛けだけではありません。 「そのキャラクターと一緒に笑い、泣き、戦った時間」が本物であってほしいんです。
それを「夢でした」の一言でリセットされるのは、私たちの人生の一部を「なかったこと」にされるのと同じ。
夢オチが描かれた瞬間、その作品は「物語」であることをやめ、ただの画が描かれた紙になってしまう気がするんですよね。
「夢オチ」は、使い方一つで芸術にもなりますが、読者にとっては「愛の裏切り」にもとれる諸刃の剣。
せめて「現実」としての結末を見せてほしい。
それが、漫画を愛する全読者の切なる願いではないでしょうか。
残念なことに、夢オチ作品はこれ以外にもあります。
例えば『シャーマンキング』のミカン(未完)オチ。
これも、ある種の夢オチ並みに震えました。
皆さんが人生で一番「私の時間を返せ!」と叫びたくなった夢オチは何ですか?
ぜひコメントで教えてください。一緒にあの時の絶望を分かち合いましょう(笑)
筆者のつぶやき
ガッカリ感は味合わせない!
結末で最高の「カタルシス」を感じたいならこの漫画!
【からくりサーカス】が今も傑作と言われる理由とは?

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